特別講座「ハプスブルク史への招待 ―マリア?テレジアの時代―」を行いました
3月27日(土)14:00~15:30、特別講座「ハプスブルク史への招待 ―マリア?テレジアの時代―」を行いました。
講師は、外国語学部 ドイツ語学科 上村 敏郎 准教授が務め、内容はハプスブルク家で唯一の女性君主マリア?テレジアを多角的に考察する、というものです。
とりわけ、18世紀のヨーロッパで流行していた天然痘に対して、ハプスブルク君主国のマリア?テレジアがどのように対処したか、現在、私たちが直面する感染症の課題とどう向き合うか、詳細な資料に基づいて話が進められました。
北は北海道、南は長崎から全国280名の方が受講し、機器やWeb会議システムの操作は概ね良好だった様子です。最後にはチャットを使って質疑応答を行い、多数寄せられた質問に対して一つひとつ丁寧に答えていきました。時間内に答えられなかった質問に対する回答は後段をご参照ください。
終了直後に行った受講者アンケートには「教科書では学べない内容を聴けて刺激を受けた」、「内容?システム的なものを含めて満足しました」、「天然痘と戦った当時の話は身近に感じた」という声があり、多くの方に満足して頂けたようです。運営に関するご意見は、今後生かして参ります。
なお、春期講座は、現在受講申込受付中です。どうぞご検討ください。皆様のお申込みをお待ちしています。
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スライドを活用し講義する上村准教授
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寄せられた質問への回答
[質問1]
ウィーンでの接種方法は?器具は使い回しですか?感染したら、どの人も自宅療養ですか?病院などに隔離ですか?予防接種によってかなり減ったのですか。
[回答1]
ウィーンでの予防接種は郊外に作られた予防接種所でおこなわれていました。軽症の天然痘患者の膿疱から採取したものを健康な被験者の皮膚に移植する人痘接種法と呼ばれる方法で予防接種をおこなっていました。予防接種後しばらくは人に感染させてしまうため、予防接種をした人は接種所内で隔離されて過ごしていました。正式な医師の下では器具を使い回すことはなかったと思いますが、接種に未熟な医者がおこなったケースでは、器具を殺菌せずに使用したため、別の原因で死亡するケースもありました。そのため、正式な手順通りに接種をおこなうように、また接種をおこなう医者は研修を受けるように布告がだされています。原則としては、感染症にかかった病人は隔離病院に収容されることになっていましたが、実際の運用までは調べられていませんので、現時点で実態についてはっきりとしたことはいえません。また、天然痘患者の実数把握ができないため、予防接種によって患者数が減少したかどうか、わからないところですが、少なくともウィーン宮廷内での死者は減ったといえると思います。
[質問2]
世界的に見て、当時のウィーンの天然痘の状況というのは、どのくらい重いものだったのでしょうか?
[回答2]
私が調べる限り、ウィーンの状況が他のヨーロッパ諸地域と比べて特別にひどいものだったというわけではありません。18世紀のヨーロッパでは全般的に天然痘が流行していたようです。
[質問3]
対立していたブルボン家になぜマリーアントワネットをルイ16世の皇后として嫁入りさせたのですか
[回答3]
オーストリア継承戦争後、ハプスブルク家の仮想敵国はフランスからプロイセンになります。プロイセン包囲網を築き上げるため、伝統的な対立構造を乗り越え、フランスとの同盟が成立しました。その一環で政略結婚も進められていきます。マリア?テレジアの婚姻政策について詳しくは春講座で解説する予定です。
[質問4]
ほぼ妊娠していた期間中も政を、サポートしていた銅像にも立像されている、影の立役者な人たちのエピソードなども、春講座で聴けますか?
[回答4]
すべての人を扱うことは時間的に無理でしょうが、マリア?テレジアを支えた代表的な人たちのエピソードも含めて、春講座の中で扱う予定です。
[質問5]
東欧史研究会について、メモをとり忘れたのでHPにアップしていただくことは可能でしょうか。
[回答5]
4月24日開催の東欧史研究会2021年度大会テーマ「近代社会における身体の管理」にて、「啓蒙改革期ハプスブルク君主国の公衆衛生?医療ポリツァイと民衆啓蒙」(仮)という研究報告をする予定です。