教員研究業績最終更新日:2019年12月12日
氏名 | 柿田 秀樹 |
所属 | 外国語学部英語学科 |
職名 | 教授 |
研究業績
⟺ スクロールできます種別 | 著書?論文等の名称 |
単著 共著 分担執筆 |
発行年月 | 発表誌名称?発行元 | 共著者?編者 | 頁数 |
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著書 | 『遠近法箱の視覚レトリック — サミュエル?ファン?ホーホストラーテンのアナモルフォーズの科学』 | 分担執筆(編著) | 2017年12月 | 『<見える>を問い直す』、彩流社 | 柿田秀樹、若森栄樹編 | 227-247頁 |
著書 | 『(暗室)箱の中の手 — デイヴィッド?ホックニーの逆遠近法と鏡の投影 —』 | 分担執筆 | 2017年12月 | 『記憶と記録のメディア論』、ナカニシヤ出版 | 松本健太郎、谷島貫太編 | 75-94頁 |
著書 | 『唯物論的時間とエージェンシー — 視覚文化批判』 | 分担執筆 | 2016年5月 | 『理論で読むメディア文化』、新曜社 | 松本健太郎編 | 121-141頁 |
著書 | 『倫理のパフォーマンス イソクラテスの哲学(レトリック)と民主主義批判』 | 単著 | 2012年1月 | 彩流社 | 297頁 | |
著書 |
『現代日本のコミュニケーション研究 ―日本コミュニケーション学の足跡と展望―』 |
分担執筆 | 2011年4月 | 三修社 | 日本コミュニケーション学会 | 203-215、216-224頁 |
著書 | 『現代コミュニケーション学』 | 分担執筆 | 2006年4月 | 有斐閣 | 池田理知子編 | 序章(共著)、第5章、第11章 |
著書 | 『視線の両義性』 | 分担執筆 | 印刷中 | 『「みる/みられる」のメディア論』 | 高馬京子、松本健太郎編 | |
論文 | ”Fine Arts as Visual Argument: Optical Argument in Discourse,Technology and Paintings" | 単著 | 2015年 | 『ISSA Proceedings — What We Talk About When We talk About …』(University of Amsterdam) | Bart Garssen,David Godden,Gordon Mitchell,Francisca Snoeck Henkemans 編 | 690-702頁 |
論文 | ”Preliminary Research on Visual Rhetoric of the Perspective Box” | 単著 | 2014年2月 | 『獨協大学英語研究』第74号 | 1-32頁 | |
論文 | 「表象の越境?越境の表象—コミュニケーションの行為媒体」 | 単著 | 2010年3月 | 『ヒューマン?コミュニケーション研究』第38号 | 117-141頁 | |
論文 | ”The Body, Materiality, Argumentation: Re-reading Marshall McLuhan's Understanding Media.” | 単著 | 2010年 | 『The Functions of Argument and Social Context: Selected Papers from the 16th Biennial Conference on Argumentation』 | 233-240頁 | |
論文 | ”Interpreting Rhetorical Agency in the Age of Neo-Liberalism: A Controversy over Critical Praxis.” | 単著 | 2009年 | 『Concerning Argument: Selected Papers from the 15th Biennial Conference on Argumentation』 | 414-423頁 | |
論文 | ”A Rhetorical Critique of Humanism in the Rhetorical Scholarship: Praxis, Doxa and Rhetor as the Human Subject.” | 単著 | 2008年 | 『Proceedings of Tokyo Conference on Argumentation』 | 107-118頁 | |
論文 | ”A Response to Professor Campbell's Lecture on Rhetorical and Communication Studies” | 単著 | 2006年12月 | 『獨協大学英語研究』第62号 | 91-102頁 | |
論文 | 「戦争のレトリック―イデオロギー論の立場から」 | 単著 | 2005年3月 | 『日本コミュニケーション研究者会議 Proceedings15』 | 87-141頁 | |
論文 | 「主体創出のコミュニケーション空間―イソクラテスの「民族祭典演説(Panegyricus)―」」 | 単著 | 2005年 |
『九州コミュニケーション研究』第3号 http://www.caj1971.com/~kyushu/ |
69-80頁 | |
論文 | 「言説としての「哲学」~イソクラテス「アンティドシス」の実践」 | 単著 | 2004年8月 | 『第2回議論学国際学術会議 報告集』 | ||
論文 | 「隠れたレトリックの伝統~イソクラテスの市民教育」 | 単著 | 2004年3月 | 『獨協大学英語研究』第59号 | 17-33頁 | |
論文 | 「ジュディス?バトラーのパフォーマティヴィティ批評再考―日本のパフォーマンス研究におけるアイデンティティ構築のレトリック」 | 単著 | 2003年6月 | 『パフォーマンス研究』第9号 | 26-43頁 | |
論文 | 「パフォーマンス学の一領域としてのスピーチ?コミュニケーション教育とパブリック?スピーチを診るための2つの異なったアプローチ」 | 共著 | 『パフォーマンス研究』第3号 | 7-15頁 | ||
書評 |
『「国際英語」ディスクールの編成』中西満貴典 『ザ?ディベート―自己責任時代の思考表現技術』茂木秀昭 |
単著 | 2003年10月 | 『日本コミュニケーション学会ニュースレターCAJ NEWS』 | 8頁 | |
学会発表 | イソクラテスのキュプロス演説におけるパイデイアと哲学(レトリック) | 単著 | 2019年9月 | ギリシャ哲学セミナー、第23回共同研究セミナー | ||
学会発表 | ディルク?ド?タワード?ファン?ラーフェステインの『ルドルフ二世の治世の寓意』に見る王の(脱)権威 | 単著 | 2019年3月 | 日本コミュニケーション学会?中部支部大会 | ||
学会発表 | 文学とコミュニケーション ―文化を読む―(シンポジウム) | 2006年6月 | 日本コミュニケーション学会第36回年次大会 | |||
学会発表 | メディア時代のコミュニケーション論(シンポジウム?レスポンデント) | 単独 | 2004年11月 | 日本コミュニケーション学会第3回関西支部大会 | ||
学会発表 | Helen as Rhetorical Agency of Pan-Hellenism: Isocrates' Rhetorical Critique without the Subject | 単著 | 2004年11月 | National Communication Association Annual Convention | ||
学会発表 | 倫理、実践、権力関係~レトリック的行為主体 | 単著 | 2004年6月 | 日本コミュニケーション学会第34回年次大会 | ||
学会発表 | Position Statement of Japan Society for Rhetorical Studies | 共著 | 2003年9月 | The Alliance of Rhetoric Societies Conference | ||
学会発表 |
主体なき「ヘレネ」批評は可能か? ―レトリック的解釈学と行為主体― |
単著 | 2003年6月 | 日本コミュニケーション学会第33回年次大会 | ||
学会発表 | コミュニケーション研究の地平を探る(シンポジウム?学術局セッション) | 単独 | 2003年6月 | 日本コミュニケーション学会第33回年次大会 | ||
インタビュー | 大澤真幸氏へのインタビュー ―コミュニケーション研究の可能性 | 司会兼インタビュアー | 2005年6月29日 | 日本コミュニケーション学会第35回年次大会 |