2001 学生懸賞論文入賞作品(2編)
入選
該当作なし
佳作
「外国語を学ぶ意義 ― 人はなぜ外国語を学ぶのか ―」
外国語学部言語文化学科3年 中島 美和 要旨はこちら
「"いじめ" 問題について」
法学部法律学科1年 小沼
豊 要旨はこちら
<佳作>
「外国語を学ぶ意義 ― 人はなぜ外国語を学ぶのか ―」
外国語学部言語文化学科3年 中島 美和
「なぜ外国語を学ぶのか」―― この問題にあなたは明確な答えを出せるだろうか。
私自身、外国語学部に所属しながらも、この問題の答えをなかなか見つけ出すことはできなかった。そこで、自らの経験や思いを振り返り、外国語とは何か、自分の、そして人々の外国語を学ぶ目的について目を向けてみたい。
小さな村で出会った初めての外国人教師。私の外国語への興味はそこがスタートであり、それから現在に至るまで、外国語を通じて私は様々な経験をすることができた。
そしてついに見つけた答え。外国語は相手との意思疎通の手段のひとつであり、決して特別な技術ではない。しかし、それらを学ぶことで得られるものは数え切れないだろう。新たな出会い、発見、感動、喜び......これらのものを求めて、私たちは日々外国語を学んでいるのだと考える。
<佳作>
「"いじめ" 問題について」
法学部法律学科1年 小沼
豊
「いじめ」――これは学校における永遠のテーマであろう。子どもたちは社会の均等化、親の過度の期待という中で生きている。それらが、今の子どもたちのいじめとどう関わってい??くのかを考えてみたい。
子どもたちは、目立たないようにバリアーを張っている。なぜなら、個性的であることは望ましいことではないからだ。目立つ子、バリアーをうまく張ることのできない子が、いじめの対象になりやすいからである。
思春期特有の少年心理(自尊心)がいじめの存在を見えにくくし、それがしばしば悲劇につながる原因となる。学校や親は、いじめが存在しているにもかかわらず見抜けないでいる。そして、いじめた子は「ごっこ」としていじめを遊びの一つと考えて、限度というものを知らない。友だちが死んで初めて大変なことをしてしまったと気づくのである。
傍観者は加害者と同じであること、いじめに手を貸すことだと、傍観者たちが自覚することが、いじめの解決につながる。人数の一番多い傍観者の態度一つで、いじめの状況がガラリと変わることを忘れてはならない。