講話集1

講話集1

学長講話(1)

「品位のある獨協大学生として」1964(昭和39)年6月3日

まず申し上げたいことがあります。私は今度国立教育会館というものの館長になったのです。まさかそう思う方はないでしょうけれども、私がこちらを辞めて教育会館の館長になるという、そういうわけじゃないんです。そうじゃない。私はこの大学のために生きているので、この大学以外に、どういうことがあろうと(他所の)専任になることは絶対あり得ない。この大学のために私は生きている。ただ、このたび国立教育会館というものができて、そして文部省の意向として、日本の教育(界)を代表するような者に初代の館長をやってもらいたいと。そういう意味でぜひ新しい館長をやって欲しいということなので、私がその世話をする。兼任をしますけれども、どこまでも私はこの大学のために生きているのであって、決して外に、どんな理由があっても行くなんてことは絶対あり得ないということは、私が申し上げるまでもないと思うけれども、誤解があると困るからちょっと申し上げておきます。

この大学というのは、私が諸君の入学式のときに述べたような理由でもって創ったもので、ただ世間にある大学と同じ大学を一つ増やそうという意味じゃないんです。私は今の日本の大学に対していろいろ不満足に思っていることがありますけれども、その最も大きいことは、大学の入学試験ということだけを重んじている。そして非常に難しい試験をして、そして入ってしまえば、もう入った学生諸君も自分らの目的は達したように考え、大学の方も、すべてそうだという意味じゃありませんけれども、概して言うと、入ってしまった学生はそのなすがままに生きていこうというふうがある。それはよくないと。私はそうでなくして、それを転倒して、入ることはできるだけ易しくしたいと。受験準備なんてことにはどうか力を注がないようにしようと。けれども、しかし入ったら、勉強しない人は私は卒業させない、これを諸君にどうか覚えておいていただきたい。学校の規律にちゃんと従うという人でなければ、この学校は修学もできず、卒業もできない。したがって、諸君が他日社会へ出れば、獨協大学の卒業生というのはちゃんとした規律を持って、そしてちゃんとした勉強をして出てきたものだと社会が認識するようにならなければならない。これは、私が社会へ向かって公約したことであって、どうあってもそうしなければ、この大学の存在理由というのはなくなってしまうわけです。

私は、ごく平凡なことであるけれども、このことをすみずみまで、ひとつ肝に銘じて、みんな学生諸君が一つの「新しい(大学)」、みんな学生諸君が上品な心構えを持って、そして出席はちゃんとして、そういう一つの(新しい)大学であるということを、この極めて当たり前なことをどうかよく心にとめておいて頂きたいと思うんです。もししかし、こういう建学の精神というものを理解せず、出席が重要じゃなく、またことに学生としてのあり方にそぐわないような人がおるなら、私は残念だけれども、そういう諸君とは袂を分かつ。ここで本当に勉強したい諸君が多数おると思う。また、そういう諸君はこの学長の書いたものを見て、そういう学校に入りたい、そういう大学に入りたいと言って、自分の入学した大学を取り消してここに入っている人もいる。もし学校が乱雑で、礼儀も構わず、また勉強もせずというような人がおるなら、学業を取り消してここへ入ったという人たちに対して、またその父兄に対して、私が何てお詫びをしたらいいのかと私は思う。私は、ただ言葉だけでやるんじゃなくて、真実でやろうと思っています。だから建学の精神に沿わない、この学校の本質を乱すという人がいるなら、残念だけれども、私は思い切って、そういう人とは袂を分かとうと。諸君が私の入学式の言葉を、ただああいうことを飾りに言っているんじゃないということを理解してもらって、そうしてこの大学のあり方というものに同感をして、そして地方からでも、自分の子供をここへ送ってきている方々に対してでも、私はそういうことをおろそかにやるわけにはいかない。断じて私は思い切ってやる。

例えば教場を騒がしくするとか、あるいはその他のことを乱雑にやるとかいうようなことは、この学校の精神に沿わない。私はここに新しい大学をつくろうとしています。大学生というと礼儀も構わず、ただ横柄で、そして不作法なのが大学生と考えるなら、それこそ間違ったことなんです。そういう世間で思われがちな(大学生に対する)考え方を打破しようというのがこの大学の精神です。本当にこれは命がけでやろうと思っています。どうか学生諸君、そういう学校の建学の精神をよく理解していただいて、年(度)初めに諸君が宣誓書に署名して下さったように、学生という立場において、この大学が立派な大学として発展するようにご協力を頂きたいと思うんです。諸君はその協力をすると言ってここへお入りになった。

先ほども申すように、本当にまじめにこの学校で勉強しようと。あるお母さんが私に電話をかけてきて、うちの娘は学長の書いた文章を読んで、学生を勉強させるというので、それじゃ自分はぜひその大学へ入りたいと言ってここへ入ってきたと、そういう人もいるんです。また、言うまでもなく、諸君を遠いところからご両親がここへ送ってこられたというのは、この学校がそういう規律をちゃんとやって、しっかりした人物をつくってくれるということからこの学校へ送ってきたんだと思うんです。どうか諸君は、こういう大学の精神をよく理解して、そしてぜひやっていただきたい。また学校は、できるだけのことをして、諸君の勉強に便利なように私どもはしていきたいと思うんです。そのためには先生方にもぜひとも、万やむを得ないことはありますけれども、休まないで、休講ということがないように是非して頂きたいということを先生方にも学長からお願いしているわけです。

私が書いた従来の大学に対する問題点ということは、第1は、入学試験がむずかし過ぎることです。

第2番目には、入った人たちを指導するということが足りないことです。いわばもう投げ出している。そうして学生諸君がある学校に入れば、これで我がこと成れりと、そういう一つの高慢な心を持つようになるでしょう。さらにそれを指導するということが足りない。

それから、今の大学というのは人間形成の場だと言うけれども、そういう人間形成を本当にやっていないと思う。すべての大学がそうだと言うんじゃないけれども、一般的に言うとそういう傾向がある。もちろん私達は大学は学問をやって、学問によって人間形成をつくろうとするけれども、同時に、自主的にという一つの姿勢がなければ人間形成ということはできないと思う。どうか諸君がここに4年おられたら、本当に立派な人物として社会へ出られるように、私などは諸君を教育していく責任がある。そういう考えを諸君はよく理解してほしいと思う。教場をやかましくするものがいるなんてことは言語道断、そういう人がいるなら、私はぜひそういう人には辞めてもらう。他の人の勉強を妨げるなんて、そんな不都合なことはないと思う。みんなが本当に快く勉強できるように、学校としても教室でもすべて気持ちよく、どこでも気持ちよく、先生方の休講もなく、みんなが勉強できるように我々は命をかける。それなのに、学生諸君の中に、教場をやかましくするとかそういうようなことがあるなら到底認められない。そんな不都合はないでしょう。そういうつもりで学校へ入ったということを諸君に知っていただきたい。大多数の諸君が私の言うことに同感されることと信じております。そしてみんながここで十分勉強して、立派な人物として社会に出るものと思うんです。

それについて、すべてについて今までのありふれた大学的観念というものを捨ててしまうことです。今までの大学生というものは礼儀も心得ず、どんな秩序も構わず、例えば教場でたばこを吸ったり、たばこの吸いがらをそこらへ投げ捨てたりというようなことでも何も恥じることなくやるとか、そういったことが大学生ごと思っているなら、こんな間違った話はない。

東大に前田陽一という方がある。諸君は名前を知っておられると思うけれども、あの方は実に大学のことを詳しく知っている方でして、こういう話を中央教育審議会でしておられた。アメリカの本当の意味でのカレッジというものは、日本の旧制大学に旧制高等学校、例えば一高等のような、そういう学校にしみ込んだものを加えたようなものが評価値が一番いい大学、カレッジだということを言われた。諸君が大学へ来て、教場に入ったら礼をするとか、教授に対して礼をするとかいわれたら、そういうことは高等学校的だという考え方は非常に間違っている。そういうことは高等学校的教育で大学ではやらない。そういう大学がやめたことほど、私は熱心にやろうとしている。そういうことは諸君はもう十分了解しておられることと思いますが、どうかひとつそういう点を励んで、品位のある獨協大学生として、また勉強をよくして、そして愉快なカレッジライフを営んでいただきたいと思う。

まだこの後お話しされる方があるから、今日は私はこれだけ言いたいと思う。今後、機会あるごとに、諸君に私の考えていることを述べていきたいと思います。