大学の歴史
「獨逸学協会学校」創立以来130余年、獨協大学には世界を舞台に挑んできた外国語教育と国際交流の伝統と歴史が今も脈々と息づいています。
大学は学問を通じての人間形成の場
1883(明治16)年、文明開化期の象徴「鹿鳴館」が開館するなど日本が本格的に国際化へと歩み始めた年。ドイツ語とドイツ文化の学習をとおして国際人を育てるという理念のもとに、「獨逸学協会学校」が創立されました。翌年には、5年制の中学に法律?政治の専修科を加えた法律の専門学校を開学。その後、ドイツ語を教える唯一の中学校として医学界を中心に数多くの優秀な人材を輩出してきました。
そして学園創立80周年を迎えた1964(昭和39)年、天野貞祐博士を初代学長に獨協大学を設立。建学の理念は、?大学は学問を通じての人間形成の場である」というもの。ドイツ教養主義精神を原点に、ゼミナール教育に代表される少人数を重視し、教員と学生がふれあう機会を多くしました。こうした外国語教育と国際交流の伝統と歴史は、130年以上の時を越えた今に息づき、そして受け継がれています。
大学建学の理念
?大学は学問を通じての人間形成の場である」
これが本学の建学の理念です。本学の創立者、天野貞祐は大学創設にあたり次のように述べました。 ?人間形成はもともと人間一生の仕事であって、種々の方法によって行われる。...しかし大学に おいて人間をつくる道は学問でなければならない。大学は学問を通じての人間形成の場である、というべきである。学問はそれに没頭し努力せねばならぬ。心を統一して、それにうち込むことほど精神を ねり人間を作ることはない。学問的努力によって確かに人間は形成される。意志は鍛錬される。しかもその意志は純粋でなければならない。正直でなければ学問的追求は不可能だからである。」 ?学問を通じての人間形成」、この言葉は大学、そして学問というものの本質を常に私達に問いかけ、獨協大学に学ぶ者の原点となっています。
獨協大学を創設したカント哲学の権威
天野貞祐(あまの ていゆう) (1884~1980年)
獨逸(ドイツ)学協会中学出身、獨協大学創設者であり哲学者。
第3次吉田内閣の文部大臣。
我が国で最初にカントの『純粋理性批判』の翻訳を完成し、カント哲学の権威として知られる。
「哲学」という言葉を作った哲学者
西 周(にし あまね)(1829~1897年)
獨逸学協会学校初代校長であり、哲学者?啓蒙思想家。
オランダに留学後、福澤諭吉らと「明六社」に参画し、啓蒙活動にも尽力。西洋哲学を日本に紹介、「日本近代哲学の父」と呼ばれています。
獨協教育育ての親
大村 仁太郎(おおむら じんたろう)(1863~1907年)
獨逸学協会学校?第4代校長。
ドイツ語学の普及に尽力する一方、留学時代に研究したドイツやヨーロッパの学校教育、社会教育等を獨協教育に導入、「智育?徳育?体育」の全人教育を展開した。
歴史と沿革
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天野貞祐の書斎(獨協歴史ギャラリー)
開館時間 月~金/10:00~16:30(土?日?祝日/休館) 天野貞祐博士の書斎を復元、展示しています。 詳細は、創設者?天野貞祐のページをご覧下さい。